10歳で後に師匠となる数学家教員の藤村紀夫氏のマジックを見る。
その1年半後に師匠がいる自由の森学園に入学し手品部に入部した。
何事も初日って覚えているものですが、僕のマジック人生の初日は20年経った今でも鮮明に覚えている。
その時にはコンテストに出たり、沢山の人と出会うきっかけになったり、20年もマジックを続けるなんて思いもしなかった。
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はじめに
自由の森学園に入学したばかり頃、僕は一気に3つの部活動を始めました。
郷土芸能部(和太鼓)、民族舞踊部、そして手品部。どの部活も初日だけは担任のよっしーが連れてってくれた。
郷土芸能部と民族舞踊部は体育館に、手品部は当時3階にあった数学家研究室に連れて行ってくれた。
数学科研究室のドアを開けると眼鏡をかけた藤村さんが居た。
重い腰を上げて向かい入れてくれた。
不安と好奇心が入り乱れる中、僕のマジック人生がスタートし人生そのものが大きく動き出したらしい。
薄暗い数学科研究室で
薄暗い小さな部屋に書類が山ほど散乱する中、唯一4人掛けのテーブルだけがその顔をのぞかせていた。
テーブルの上でどんな不思議が暴かれるのかドキドキしていたのを覚えている。
テーブルを挟んで向かい合って座りトランプマジックをいくつか見せてもらったんだと思う。
ずっとワクワクが止まらなかった!
そしていよいよ手品の秘密を教えてもらう時間になった。
トランプの持ち合わせがなかった僕に師匠はティッシュを1枚渡し丸めるように言った。
ティッシュで行う基礎練習
ティッシュが手の中で忽然と消えるマジック。
その名も「フェイクトランスファー」!
基礎練習のわりに難易度が高く1日でそのコツを掴むことはできなかった。
師匠の藤村さんは時間をかけて身振り手振り教えてくれた。
「右手はこう、左手はこう、この時に左手が動いて・・・」
抽象的な表現に困りながらも食い入るように動きを観察して学んだ。
一通り解説し終えたのか「あとは鏡で練習して」と自席に戻ってしまった。
言われたことを真面目に守り鏡の前でひたすらに練習した。
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鏡の前で2時間練習、そのころ師匠は?
数学科研究室には小さな姿見が1枚あってその正面に座ってひたすらにティッシュを消す練習をした。
右手の動きを確認し、左手の動きを確認し、自分の目線や体の向きも確認しながら延々と練習を続ける。
気付いたら2時間も経過していた。
同時に静かになった師匠の姿を探すと寝息を立てて居眠りをしていたww
「なるほど、部活動とはこういうものなのか!?」と勘違いしてしまうくらい堂々と眠っていた。
それから30分くらいしてムクっと起き上がった師匠は僕に向かて言いました。
「今日はここまでね、また2週間後に!」
今思い返しても実に変な初日だったと思う。
そしてよく部活を続けたと思う。
12歳、中学一年生なりに手品の可能性や魅力に気が付いていたのだろうか。
全ては始まりはこの日だったのかもしれない
もし手品を始めていなかったら・・・
- 英語を勉強しにカナダに留学していない
- 上智大学に入学していない
- 多くの国を訪れていない
- 今まで出会ってきた90%以上の人と出会えていない
- 多くの子ども達に笑顔を届けていない
手品が無ければ中国の大学を卒業し現地の日系企業に就職していたことでしょう。
そんな人生もきっと楽しかったと思う。
でもマジックのある人生の方が何十倍も濃い~はずだ。
普通じゃ経験できないことを経験し、普通じゃ会えない人と会ってきた。
その分辛いことも多く後悔することもあるけど、手品の存在と藤村さんの存在には常に感謝している。